読書(一般)

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「平成経済20年史」 紺谷典子著 玄冬舎新書 定価940円(H21.7.14)

平成の世になってからさまざまな「改革」が次々と行なわれた。その結果日本は毎年3万人もの自殺者を出し、地方は切り捨てられ、弱いものが見捨てられ、働いても豊かになることができず、明るい未来を夢見て努力することができない国になってしまった。

政治家は目先の選挙のことだけ、官僚は保身と天下りを第一に考え、マスコミは真実を伝えるのでなくスポンサーと情報源の意向に従うのみで、本当に国民のためを考え、責任を負う者がいないという状況は非常に悲しい。

紺谷氏によれば、一連の改革はいずれも根拠のない赤字財政を喧伝し、緊縮財政をおこない、より大きな権限を手に入れようとする大蔵省・財務省の筋書きに沿ったもので、国民の幸福に対し責任を負わない官僚が、行なったことだ。官僚は自分たちのミスを隠蔽し、都合の良い情報だけをマスコミを通じて知らせている、そのやり方は陰湿きわまりない。

医療関連では、小泉政権発足時、毎年社会保障費の自然増を当初5年間で1兆1千億円減らす、と決めた。「毎年2,200億円」のはずだったのが、「毎年2,200億円を追加して」減らしていた。その結果5年間で1兆1千億円のはずが、実際には、5年間で5兆3千億円を削減したのだ。医療崩壊になるのも当然だ。格差の問題、年金の問題についても論じている。

この本には、何度も立ち直ろうとして挫かれた日本経済の歩みが記録してある。多くの方に読んでもらいたい。日本が立ち直り、皆が幸福に暮らせるような本当の「改革」を達成するための反省材料だと思う。

マスコミの情報を無批判に受け入れず、自分の頭で考えることが大事だ。またマスコミは、自分たちの仕事が国民の幸福な生活に大きく関わるのだという自覚を持ってもらいたいと思う。

「フード・ウォーズ」ティム・ラング、マイケル・ヒースマン著、コモンズ刊、2,800円

先進国では食料の過剰消費による疾病が多く、途上国では飢餓の問題があり、中国、インド等では、栄養失調と栄養過剰の二極化が顕著に見られるようになっている。

食料の生産、流通、消費に関して様々な問題が持ち上がっている。著者は、現在優勢な「生産主義パラダイム」は限界に達し、遺伝子工学に代表される「ライフサイエンス・パラダイム」と健康と社会を全体的に捉える「エコロジー・パラダイム」の間で戦いが起っている。

スーパーには世界中からの食料が1年中並べられている。需要と供給と言う単純なものが食料品の流れを決定してはいるのではない。巨大な食品産業が力を握り、食料の生産から消費までを支配している。環境が破壊され、動植物の多くの種が絶滅に追いやられ、生物の多様性が失われている。次ぎから次へと新製品を生み出し、 政府の予算を越える巨額の広告費を使って作り出された需要に消費者は振り回されている。

産業化した農業により、食料は大規模農家によるモノカルチャー生産となっている。そのことにより食品の小売価格が下がる。肥料、農薬から小売りに至るフード・チェーンにおいて、食品価格のうち農家の占める割合を減らす。アメリカでは、消費者が食品に1ドルを支出する際、農家の取り分は1910年では、40セントを占めていたが、97年には7セントに過ぎなくなっている。この経済的圧力により、小規模な家族農家が急速に減少している。(日本では、小規模の兼業農家が主体で大規模化が遅れている)

最近は、途上国で生産された新鮮な農産物を豊かな先進国で消費するパターンが広がり、バナナや熱帯のフルーツだけでなく全ての食料について生じている。「バナナを生産するエクアドルの農民は家族を養える賃金の半分も稼げない。エクアドル産バナナ1ポンドの小売価格に対して、プランテーションの労働者には1.5ペンスしか支払われず、プランテーションの所有者が10ペンス、商社が31ペンス、熟成・流通業者が17ペンス。最終小売り業者が40ペンスを手にしていた。(中略)これは、コーヒー・ココア・ゴム・砂糖などの熱帯産品の生産にかかわる小農民の悲惨さを示す一例であり、いずれの産品も1980年代前半の価格より今日のほうが下がっている。」

他に、漁業資源の枯渇のために養殖をおこなっているが、その餌は天然の魚であること、有機栽培の野菜でも遠方から化石燃料を使って運ぶことで、かえって環境に負担をかけることになる、など注目すべきことが書かれている。

今までは、「生産主義パラダイム」により、安く大量に食糧を供給することで、環境を破壊し、弱い立場の途上国の生産者に大きな負担をかけてきた。日本は世界中から食糧をかき集め、大量の廃棄物を毎日出していることで、とりわけ大きな責任があるだろう。根本的な解決には、力を持っている先進国の消費者が目覚め、政府および企業に働きかけていくことが必要だと考える。まず、始めることは、できるだけ、季節の旬のもの、住んでいる近くで生産された食物を取るように心がけることだと思う。テレビなどのコマーシャルにだまされない、賢い消費者になることが重要である。

かなりの分量の原著の抄訳で、ちょっと難しい表現もある本だ。

「ミトコンドリアが進化を決めた」ニック・レーン 著、 斉藤 隆央 訳、みすず書房、3,990円 (H20.8.28) [#i726f80c]

ミトコンドリアについて追求することで、進化、生と死、性について深く考えることのできる素晴らしい本です。かなり読み応えがあります。「新しい創傷治療」の夏井先生のHPの書評をご参照下さい。

原爆の秘密「国内編」鬼塚英昭著、成甲書房、1,800円(H20.8.4)

原爆によって無念にも命を奪われた広島、長崎の市民の魂が乗り移ったかと思われるような迫力に圧倒される。

日本の敗色が決定的となった昭和20年4月、米軍との決戦に備えて、日本の全軍を東の第一総軍、西の第二総軍の二つの指揮下に置くことになった。第二総軍は畑俊六元帥、爆心地となる場所から1,300メートル離れた山の中腹に司令部が置かれた。第二総軍は何をしていたのか?空からの米軍のビラやラジオを通じて広島に原爆が落とされることが警告されたいたが、軍はそれを一般市民に知らせないようにしていた。

被爆直前の広島市は、7万戸以上の住宅が壊され、戦時のピーク時の人口34万人のうち6万人が既に疎開していて、市の残存人口は28万人と推計された。一方軍の司令部、部隊関係の軍人軍属多数が広島市に流入し、その数は8万人にものぼるという推計がある。『広島県史』によると、「広島地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万、学徒隊1万5000人の出動を命じた」と記している。以前2千軒近くの食料・飲食関係の店があったが、その頃は百五十軒以下となっていて、厳しい食料事情にかかわらず、多くの人々で溢れるような状態だった。

8月6日午前9時広島の陸軍社交クラブ「偕行社」で、西日本各地の司令官が集まり、広島の政・官・民を交え合同通信会議が開かれることになっていた。

以上、原爆投下の時に合わせて、多数の人々が広島市に集められたという事実。また、8月5日夜広島軍司令部の幹部と県知事、広島市長、政・官・民の大物が集まった宴会についての疑問。さらに被爆後間もなくの国際赤十字からの救援の申し出を政府と日赤は拒んだという事実。

長崎になぜ原爆が落とされたのか。真珠湾攻撃で使われた魚雷を作った三菱の工場、またカトリックの聖地浦上天主堂が近くにあることの意味は?爆心地近くの三菱重工長崎造船所に捕虜収容所があり、400名ほどのアメリカ人捕虜がいたはずなのに、原爆投下時には別の場所にに移されていたために、米兵の原爆による犠牲は8名しかなかった。
このような広島、長崎の原爆投下前後の動きから、日米の上層部が連絡を取り合って、確実な成果を上げるべく正確な日時に目標地点に原爆を投下させたことが推察される。

原爆の秘密「国外編」鬼塚英昭著、成甲書房、1,800円(H20.8.4)

 『二十世紀のファウスト』、『天皇のロザリオ』の著者による原爆の秘密を暴く書。
アインシュタインがルーズベルト大統領に原爆製造を勧めたとされる手紙についての疑問。
 第二次大戦はもっと早くに終った筈なのにに長引いたのはなぜか。
 なぜドイツでなく、日本の広島と長崎に落とされたのか。
 広島と長崎で異なるタイプの原爆が落とされたのはなぜか。
 ルーズベルト大統領の突然の死にまつわる疑惑。
 今までの原爆関連書にはない視点—原爆を生産し、原爆産業となっていく企業グループの側から見た原爆物語です。戦争を起こし、長引かせて利益を得ている『死の商人』には国境もなく、国家の最高指導者でさえ自分たちの手先に過ぎず、言うことを聞かないとJ.F.ケネディ大統領のように暗殺されてしまいます。彼らにとって、戦争に駆り出される兵士とその家族の命は限りなく軽い。
 悲惨さのゆえにただ戦争反対と叫ぶのでなく、なぜ戦争が起こるのかを知ろうとすることが重要だと思います。

「第三の脳」傳田光洋著、朝日出版社、1,500円(H20.6.1)

皮膚表面の表皮を構成するケラチノサイトの多様な働きを最新の研究成果をもとに明らかにし、皮膚のバリア機能だけでなく、センサーとしての働き、情報伝達系としての高度な働きを示し、消化管に次ぐ第三の脳としての皮膚に注目した本です。

著者の関心領域は広く、皮膚の働きから鍼灸、超能力にまで話題が及ぶ。また「こころ」の形成に果たす皮膚の役割についても興味深い話題が続く。222ページという比較的薄い本ですが、内容は非常に濃く、大いに考えさせられる本です。

以下に第三章の一部から抜粋します(一部改変)。

著者は大学で化学熱力学を学び、開かれた状態での「自己組織化」という概念に惹かれていた。

閉ざされた系で成立するエントロピーの法則は、開かれた系、つまりエネルギーや情報が出入りする系では成立しない。エネルギーの流れの中では、高い秩序をもった構造が自然に形作られることがある。これが自己組織化現象だ。生命はまさに自己組織化系にあたる。周囲から食べ物や酸素や熱を取り込み、一方で排泄や情報発信を行なって、その機能と構造を命ある限り維持している。「生命」の成り立ちに興味があって化学熱力学の勉強をしていた著者には、こすれば垢になる皮膚すら、「自分の状態をモニターし、その状態が壊れても、その壊れ具合を顧慮しながら、元に戻す力がある」ことに生命の本質を見る思いがした。

著者は主な研究は皮膚バリアに軸足を置いているが、対象は環境湿度、メンタルストレス、嗅覚刺激、電気、温度、ホルモン、はては光にまで広がった。

その一方で、皮膚のシステムの研究も進め、角層バリアを作る表皮の細胞が、実はバリアを形作るだけでなく、環境変化をモニターするセンサーや、そこで受けた情報を処理する機能まであることがわかってきた。さらにはその情報は、神経や免疫系、循環器系、内分泌系など様々な全身のシステム、さらには我々の心にまで影響を与えている可能性が浮かび上がってきた。そして、著者は「皮膚も脳である。いわば第三の脳だ」という宣言を行なう。

「眠れない一族–食人の痕跡と殺人タンパクの謎」ダニエル・マックス著、柴田裕之訳、紀伊国屋書店2,400円

(平成20年2月)

(概要)イタリアのある高貴な一族は現在に至るまで少なくとも2世紀にわたって致死性家族性不眠症(FFI)という遺伝性の病気に苦しめられていた。50歳代で発病し、眠りを奪われて命を落とす。一般にFFIに罹る確率は三千万人に一人であるのに、このイタリアの一族でFFIを受け継いでいる家系では二人に一人となる。
 

1772年イングランドで後にスクレイピーと呼ばれることになる新しい羊の病気が見つかった。羊たちは恐ろしいかゆみに襲われ、病気が進むと羊はふらつき、転び、最後には倒れて死ぬ。病気の最初の兆候が見られてから死ぬまでは、ほんの2か月ほどと短期間だ。
 

間もなくこの病気はイングランド全土に広がり、19世紀初頭にはスコットランドにも到達し、1820年代には、スクレイピーはヨーロッパの羊肉業と羊毛業を壊滅させかねないほどになっていた。

1940年代になり、ニューギニアの高地で石器時代の生活をおくるフォレ族という人々が罹る「クールー」と言う病気が見つかった。がたがたと震え、歩けなくなり、目はうつろで斜視になり、平衡感覚を失って歩けなくなり、死んでゆく病気で、女子供が罹ることが圧倒的に多かった。フォレ族は呪いによるものと信じて対策をとっていたが、効果はなかった。後にノーベル賞を受賞する、研究者・小児科医であるカールトン・ガイジュシェックは、進んでその調査研究を買ってでた。精力的な調査を9か月にわたって行ったが、クールーの謎は解明できなかった。

フォレ族にとってクールーは新しい病気であり、オーストラリアの人類学者夫妻により、フォレ族が人肉を食べる風習は調査の50年ほど前に隣の部族に倣ったものだと判明し、両者の強い関連が推測された。後に食人の風習は廃れ、60年代のなかばまでには消滅したと思われる。その頃にはクールーに罹って死ぬ子供がいなくなり、次いで若者の死者がいなくなった。そしてついに、この病気を患うのは老齢の女性だけになったことが食人説の裏付けとなる。

1968年と69年に、ガイジュシェックは自らの実験結果を発表し、クールーとスクレイピー、そしてクロイツフェルト・ヤコブ病が、同じものによって引き起こされていると断言した。それは破壊が困難で遅発性の、何らかの新種ウイルスだという。

その後の研究でスクレイピーの病原体は核酸をもたないタンパク質のみから構成されていて、それが自己複製することが考えられた。
 
スタンリー・プルジナーはス1970年代半ばに、彼はNIHから多額の助成金を得てスローウイルスの共同研究を始めた。1980年代の中頃には、プルジナーは大きさの測定が可能なほど精製度の高い病原体を手に入れた。プルジナーらは、それが、タンパク質としてさえ小ぶりで、現在知られている最小のウイルスよりもはるかに小さいことを突き止め、抗体を生成することもできた。

彼は、この病原体にプリオンと名付けていたが、 精製を重ね、そのアミノ酸配列を部分的に決定すると、プリオンは宿主自身の体内で健康な遺伝子により形成される正常なタンパク質だとわかったのだ。つまり、プリオンは対外から患者に感染するのではなく、患者が自ら作り出しているのだ。すべての哺乳動物がプリオン遺伝子を持っていることがわかったが、どういう機能をもっているのかはわからなかった。

1997年、プルジナーの、「感染症の新しい生物学的原理」の発見に対して、ノーベル医学・生理学賞が授与された。

1980年代後半にプリオン病がイギリスの牛を襲い、市民の間に二十世紀最大の食品恐慌を引き起こした。政府の対応が拙劣なため、被害が広がった。 詳細な調査により、病気で死んだ家畜の肉を含む高タンパク濃厚飼料が原因と判明したが、政府が牛の餌としての動物性タンパク質の使用を禁止したのは、1996年になって、 狂牛病がヒトにうつったと考えられる例が次々と報告され、人々の不安が強まっからだ。騒ぎは世界に広がった。                       
イギリス政府は30か月超の牛330万頭を処分した。イギリスのBSEの発症数は150人で、感染の危険性から予想されるよりもかなり少ない。もともとヒトが持っているプリオン遺伝子の解析により、ほとんどの人はヘテロ接合体だが、散発性CJD患者、成長ホルモンで感染したCJG患者のプリオン遺伝子はほとんどがバリンのホモ接合体であると判明した。
 

集団遺伝学の研究により、 プリオン遺伝子にコードされていた遺伝子はもともとメチオニンであり、バリンが同じ部位に現れたのはおよそ50万年前と判明した。この解釈として、人類には食人の習慣があり、人肉を通じてクールーのような感染症が広がった結果、プリオンに抵抗性のあるヘテロ接合体を持つ者が多数になったと考えられる。

スペイン北部のアタプエルカ遺跡の洞窟には、約80万年前のものだが、食人を示す証拠のひとつと考えられる。

2000年にアメリカのフィラディルフィアで29歳の女性がCJD様症状で亡くなったが、プリオン抗体検査では陰性だったが、検討の結果政府からアメリカの狂牛病第一号と認定され、アメリカでも騒ぎが広がった。 2003年にワシントン州のへたり牛の一頭に陽性反応が出た、と政府が発表した。アメリカ産牛肉の最大の受け入れ国である日本は輸入を禁止(人口の多くがホモ接合体であるため、日本はBSEを非常に恐れていた)、40か国以上がそれに倣い、騒ぎが広がった。

アメリカには別のプリオン病がある。慢性消耗病(CWD)だ。狂牛病が利益追求の末に生み出された病気ならば、CWDはステータスを追い求めた末に生まれた病気と言える。鹿とエルク(大型の鹿の一種ワピチをアメリカではそう呼ぶ)を襲い、現在ではアメリカの6つの州とカナダと韓国で見られる。

プリオン病について、まだ十分に解明されたとは言えない。

(感想)

FFIとCJD、スクレイピーと狂牛病が一連の病気だと解明されるまでの長い過程が、さまざまな興味深いエピソードを交えて展開されている。
FFIとCJD、スクレイピーと狂牛病が一連の病気だと解明されるまでの長い過程が、さまざまな興味深いエピソードを交えて展開されている。

羊のスクレイピーも狂牛病も、良い肉やウールを作ったり、たくさん牛乳を搾って金儲けをしたいという人間の欲望により、品種改良の名のもとに生命を操作し非常に多くの動物を犠牲にしたことを示している。それだけでなく、病気の解明の過程でも動物実験により非常に多くの動物が犠牲になっている。現在の遺伝子操作の危険に通じるものがあると思われる。人類はあまりに傲慢になりそのつけがきて、自らの首を絞めるような事態に立ち立ち至っていると感じている。

一方で、何代にもわたって遺伝病というどうしようもない不幸に見舞われた人々の不安と悲しみが伝わってくる。いつ自分が発病するかわからないで暮らす不安、実際に罹ってしまってからのつらさ、中には信仰に救いをもとめる人もいた。人間は他の動物の運命を左右する一方で、自らもまた運命の支配を受けている、ということか。

ノーベル賞受賞者二人の、野望と行動が実に生き生きと描かれていた。どちらも非常に癖のある人物だ。こういう人々が活躍することで、新しい世界が切り開かれていくのだろうか。

問題が起った時の政府の対応は、イギリスにしてもアメリカにしても満足できるものではなかった。

約50万年前に人肉を介した感染症の蔓延により、食人をする人々が消滅し、食人の習慣が無くなったため、現在多くの国でプリオン遺伝子のヘテロ接合体の割合が高いと推測されたが、日本人にはホモ接合体が多く特別だということのようだ。日本では1300年以上前から明治時代まで、表立っての肉食はされないでいた。もっと以前から肉食の習慣が少なかったのだろうか。
 
 

「ヒトは食べられて進化した」ドナ・ハート、ロバート・W・サスマン著、伊藤伸子訳、化学同人刊、¥2,200

(平成19年8月)
(概要とメモ)

Man the Hunter(狩るヒト)、人類は残虐な殺戮をする類人猿、キラーエイプから枝分かれした存在であるという見方が一般に受け入れられている。狩をする過程で大きな脳を獲得し、進化してきたということだ。そのことは、種々の殺戮、戦争をする生まれつきの殺し屋である言い訳ともなっている。

1970年代には「狩るヒト」説が学会の権威にも一般にも受け入れられていたが、化石にはそれを支持するには不十分な証拠しかなかった。

古生物学によれば、ヒト科もヒヒのような霊長類も、古代の捕食者に常習的に食べられていた。南アフリカには初期ヒト科の骨が堆積した洞窟がいくつもあり、100万年から200万年前の間にヒョウが初期ヒト科とヒヒを大規模に捕食していたという説を裏付ける。ヒト科の頭骨化石の一部には、直径2cmほどの丸い一対の穴が10cm ほどの間隔で開いており、古代ネコの下アゴにある巨大な二本の牙にぴったり一致した。このことは、ヒョウがアウストラロピテクスを捕まえて木の上に引きずり上げて食べたことを示している。

1924年に200万年前の幼いアウストラロピテクスの頭骨が発見されたが、深くひっかいた跡が残っており、何故それがつけられたか疑問だった。それが解決したのは1995年のことで、大型ワシに捕まって食べられたことが証明された。

著者は、霊長類が他の肉食動物にどのように食べられるかを10年以上にわたり研究し、得られた新知見を化石の証拠と統合することで、Man the Hunted(狩られるヒト)、食べられる危険を通じて、行動・形態を適応させてきたと結論づけた。

全10章の内、5つの章において霊長類・人類を捕食する種々の動物について記述している。地上だけでなく、樹上、水中、空中から常に襲われる恐れがあり、それに対応することで、人類は進化してきたという。

考古学では、ヒト科が狩をするようになったのは、40万年よりも前のことではないという。歯列と消化管から見ると、火を使い始める前に大掛かりな狩はしていなかった。

霊長類の研究を通じ、人類の祖先の行動特性を考えるのに最も適したモデルは、遺伝的に人類に近いチンパンジーではなく、カニクイザルとアカゲザルが属すマカク属であると著者は考えている。根拠は、生態的類似性と社会的類似性であるとし、カニクイザルの社会について述べている。

カニクイザルの社会は、血のつながった雌を中心にして何世代もが一緒にまとまっている。その群れの中で、各母系家族にはそれぞれの社会的順位があり、もっとも優位で高位にいる雌とその娘、孫娘から、最も下位の雌までが存在している。母親の順位をそのまま受け継いでいくので、群れ組織は比較的長い期間安定したまま保たれる。カニクイザルの雌はとても社交的で、互いにすこぶる興味を持ちあっている。

その間、雄はどうしているのか。集団内ではたいてい優位な雄が一頭か二頭いて、目立っている。順位の低い他の雄、若い、雌の息子たちもいる。息子は性的に成熟すると自分の生まれた群れを離れ、かつての群れとは行動圏が異なる、まったく新しい雌の集団を探す。

また、ニホンザルが野外で初めて研究されたとき、食べ物を処理するというような革新的な行動を始めたのは若い雌だった。チンパンジーでは道具を作るのは主に雌で、その道具は採集活動に使われる(木の実を砕いたり、アリ塚からシロアリを釣ったりする)。また道具の使い方を次の世代に教えるのも雌だ。さらに殆どの霊長類で、雌は行動圏や希少な資源に関する知識の宝庫でもある。集団が備える知識と伝統は母から子へと伝えられる。また、現時点での、あるいは長期にわたる集団の安定化は、雌どうしのつながりによって成し遂げられることが多い。

雄についてはどうか?雄が一匹で雌が一〇匹いる霊長類集団には、雌雄ともに一〇匹いる集団と同じだけの生殖能力がある。霊長類集団における雄の役割は防御の最前線となることだ。もしその仕事を果たしながら食べられてしまったら、そのときは他の雄が後がまに座るだけだ。

最後に、化石証拠と現生霊長類モデル結びつけて、700万から250万年前の間に生きていた人類の祖先について述べる。

1974年にエチオピアで発見された320万年前の若い女の化石「ルーシー」(アウストラロピテクス・アフェレンシス)は身長約110cmであったように、霊長類としては中間の大きさで、脳の大きさからしてかなり賢く、現代の大型霊長類ほどには利口であった。多様な運動能力をもち、地上と樹上、両方の生息環境を利用していた。木々の中では懸垂の姿勢で動き回り、地面の上にいるときは二足歩行をした。」人類の祖先の二足歩行は前適応だった。二本の足で歩くことで両手両腕が自由になり、さまざまな点で都合がよかった。

複数の男女が集団で暮らし、体の大きさは中ぐらい、雑食性で、大きな水源近くの周縁環境に暮らす、かなり脆弱な生き物だった。恐らく毎晩、十分に保護された決まった基地や泊まり場に戻る逃避種だった。また、木と地面のどちらも上手に利用し、地面に降り立ったときにはまっすぐの姿勢で立ち、二足歩行をしていた。食物は主に果実に依存し、柔らかい果実、砕きやすい果実、固い果実などを口にしていた。とはいえ、草や種子、砂まみれの根や地下茎や塊茎、そしてたまには動物性タンパク質も食べていた。動物性タンパク質はおもに社会性昆虫(アリやシロアリ)で、機会が転がり込んでくれば小型脊椎動物も捕まえていた。他の霊長類とおなじく、初期人類は捕食に対してとても脆弱だった。

以上を踏まえ、襲われる立場の動物として生き延びるための戦略を七つ述べている。

(今回は欲張ってたくさん書いてしまいましたが、興味ある人には参考になると思うのでそのまま掲載します。)

(感想):自然の豊かさを示すものは多様性である。社会の豊かさを示すものも多様性である。人類は限りない欲望を満たすため、自然を敵対するものと見て、思うままに世界を変え、多くの生物を絶滅に追いやってきた。生物の多様性は損なわれ、今や人類自らの存在までも危機に陥ってしまった。

人類の祖先は互いに助け合う優しい社会をつくり、自然に調和し、賢くしぶとく生き続けてきた。カニクイザルの集団における雄と雌の役割の違いは興味深い。自然の中には、単なる弱肉強食のような不必要な殺戮はない。限られた資源の中で多くの種が生き延びていくための仕組みが備わっているのだ。

私は、昔の偉人が直感で把握していた宗教的な真理も、次第に科学の進歩により、明らかにされ、多くの人に共有されるようになるのではないかと考えている。こうしなければならない、と無理やり生き方を強制するのでなく、偏見のない目でいろいろな事実を受け入れることで、新たな行動に移ることができる。知ることが新しい世界を切り開く力になるのだ。この本はそのための一冊になるだろう。

 

「毀された『日本の食』を取り戻す」滝澤昭義著 筑波書房 定価1,800円+税

(H19.6.6)

日本の食料自給率は供給カロリー全体で見て40%、穀物だけで見ると28%(平成12年)という少なさで、国連加盟国190か国中130番目前後という状態です。金の力で世界中から食物をかき集める一方で余ったものをどんどん捨てて顧みない風潮が蔓延しています。

戦後の米消費の減少の動きから、そこにはアメリカの余剰小麦を日本に買わせるための官民を挙げての運動の反映を見ることができます。学校給食の始まりからの経緯、具体的な事実を通して、我が国の戦後現在にいたる食の変化が浮き彫りになってきました。即ち、米国の思い通りに振る舞い、主権回復して五十五年になるのに主体性を失ったまま、すっかり去勢されてしまっている姿です。

 私は、食料の安全保障、国土の保安に関わる重大な問題が、その場しのぎ、目先の利益で判断・処理されてきた結果として現在の日本があると思っています。暖衣飽食を続けていられるのも、偶々それが周囲の国々に都合がいい、というだけに過ぎないのでしょう。誰も責任を取らず、金もうけが第一の商人の国になり、周囲の国に利用され、食い尽くされようとしているのが現在の我が国だと思います。そんな欲ボケ・平和ボケしている国民に警鐘を鳴らす痛快な書だと感じ、わくわくしながら一気に読了しました。一般国民は勿論、志ある若者、政治に携わる方々にも是非読んで頂きたい本だと思います。

「植物と話ができる!草木と人の素敵な感動物語」小原田泰久著 廣済堂出版 定価1,500円+税

(H19.6.6)

 現代は人間が皆バラバラになり漂っているような時代です。本書を読むことで、植物に限らず様々な存在が人間に語りかけていると分かると、大きな連帯感も生まれてきます。自分もこの生き生きとした世界の一員だと感じ、生まれ変わったような気分で景色を見ることができるのではないでしょうか。

 また「地球が母親で植物がお姉さん、そして私たちはやんちゃなガキ」を前提にすれば謙虚になれるという御指摘に納得しました。「地球を救え!」というのは人類の驕りを表しているようです。環境問題についても、誰もがもっと謙虚になり自分自身の問題として取り組む必要があります。

「人間の頂」野口法蔵著、PHP研究所刊、本体1,300円+税

(H18.11.9)

プロのカメラマンから、インド・チベットでの特異な経歴を経て僧侶になられた野口法蔵師の貴重な御著書です。私たちは知識ばかりを重視し、身体の訴えに耳を貸さなくなってしまいました。物質的には満たされているのに、不平、不満と不安のかたまりのようになってしまいました。自分の中にあるものを発見しようとせず、他者を責め、他者に要求することを当然と思っています。この本は、毎日のようにマスコミをにぎわす不幸な事件の根源につながる問題を提起しています。

私は常々思っています。全ての生き物がつながりを持つことを理解し、お互い異なる存在をそのまま認めることが重要であり、本能だけでなく智恵をもつ人間が取るべき態度だと思っています。この本を読んで共感を覚えた所以です。

「二十世紀のファウスト」鬼塚英昭著、

平成18年1月17日

世界の見方を大きく変えてしまう本に出会いました。著者のご了解を得てここにご紹介します。

この本は書店等では入手できない自費出版の本です。A5版538ページに9ポイントの活字2段組の大著です。以下の疑問に答えてくれるでしょう。

●ロシア革命の資金はどこからきたのか?

●第二次世界大戦での主要登場人物、ルーズベルト、チャーチル、ヒトラー、スターリンが揃ったのは偶然か?そしてアイゼンハウワー将軍の怪しい動きは何故か?

●日露戦争に勝った時点で、日本は米英とのの戦争に負けることが予定されていた。日本の暗号は米英にすっかり解読されていた。真珠湾攻撃もプリンス・オブ・ウエールズ撃沈もアメリカの世論を参戦に導くための罠だったのか。

●日本は戦争のための石油にも事欠いたのに、ナチスドイツには最後まで石油が供給されたのは何故か?

●第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦が1942年に実行される計画があったが(実施されていれば、1942年以内に戦争が終わっていた)、採用されなかったのは何故か?

●米英連合軍はベルリンを目前にして進攻を中止し、ソ連の一番乗りを許したのは何故か?

●1945年2月のヤルタ会談でルーズベルト大統領はスターリンに千島列島と樺太を与える約束をしていた。

そして、フランクリン・ルーズベルト大統領の急死がなければ、日本への原爆投下はなされないものの、日本は朝鮮半島のように分断されていたのか?

●ナチス・ドイツに対して共に闘ったソ連が、戦後悪の帝国として恐怖の対象となったのは何故か?

●第二次世界大戦後のヨーロッパ復興を目的としたマーシャル・プランの実態とNATO創設に関わる事情

●朝鮮戦争は何故起こったか?戦争の経過から何が分かるか?

●ケネディ大統領は何故暗殺されたのか?

日露戦争からベトナム戦争にいたる戦争の世紀の殆どをその中心にいて、重要な役を果たし1986年になくなったアヴェレル・ハリマンを通じて歴史の流れを見ようとする、非情に意欲的な本です。キーワードは「クリミアのカリフォルニア」、「ハリマンの山」、「真実は時として非情である」、だと思います。国を動かす人物の動きがダイナミックに表現されています。

ハリマンがケネディ大統領に出会ってその理想に共鳴してからは、以前の考えを改め、貧困と戦い、平和を求める行動を断固として続けたことは感動的です。また、ケネディ暗殺に関して510ページに、「”男であること”とは自分自身の思想を持ち、その思想を中心に生きることである。」とあるのは印象的でした。

大きな視点から歴史の流れを見ると、一つの目的に沿ってさまざまな事件・戦争が引き起こされてきたことが分かります。そして、その「目的」は達成寸前になりルーズベルト大統領の予期しない死のために中断されましたが、今も放棄されていないと思われます。イラクの次はイランへの攻撃がなされる恐れがあります。既に第三次世界大戦開始のボタンが押されているのでしょうか。今までの戦争は限定的なものでしたが、大量の核兵器が存在する現在、コントロール不能の戦争となり、想像もできないほどの災いが人類を襲うことになりかねません。そんなことまで計算にいれたうえで、自分たちだけ助かって思い通りの世界を楽しみたいという連中がいるとは考えたくありませんが‥‥

敵対する陣営を作り、恐怖を煽り、危機を作り出し、それに対処するために軍備を増強する。そうやってでき上がった体制を維持拡大するために戦争が行われてきた、ということがこの本を読むと良く分かります。真の意味での人類の進歩は、こういう事実から学ぶことで達せられると思います。

●鬼塚氏が、入手しうる出版物をもとに、真実の姿を追求していくことで描かれた世界の歴史は驚異に値します。さまざまな戦争、虐殺といった悲劇は偶然もたらされたものではない、ということがわかります。

●書名:「二十世紀のファウスト」
●連絡先:〒874-0835大分県別府市実相寺町一の四B-2
鬼塚英昭様
電話:(0977)66-4164
●定価:4,000円、送料1冊340円(複数注文の際はお問い合わせ下さい。)
●鬼塚氏には「天皇のロザリオ」(平成16年10月刊、自費出版、定価3,000円、送料340円、その後平成18年に成甲書房から上下2巻本として出版されました。)のご著書もあります。

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